memoir

ジャニ活の記録も含め ブログ超のつく初心者ながら書き込んでます

裏方は厳しいけど楽しい

大人ジャニーズの人達が 後輩の舞台•コンサートなどのプロデュースや演出を 引き受ける事が多くなった。

これ、凄く解るんだよね。

戦略を立てて タレントやアーティストを売る、育てるのって 自分達がタレントや俳優やバンドで成り上がるよりちょっとやりがいある。


バブルの足音がヒタヒタと聞こえて来始めた1980年代中頃に 地方都市で学生をしていた私がハマったのはデビューしたばかりの3人組のバンドでした。

鳴り物入りでデビューって感じでもなかったし
ちょっと今までの音楽業界にいたタイプでもない感じだったから レコード会社の担当さんも売り方が解らない感じだったのかもしれないけど、先進的な物が流行る土地柄でもあった私の地元の都市では キッカケさえ作れば売れるバンドだったんだと思う。

でも 現実的にはそのキッカケを作る事自体が難しいわけで、どうやったら広くメディアに取り上げてもらえるのか?とか
まだ名前だけ聞いた事があっても 音楽やパフォーマンスを知らない人に知ってもらうのが難しい時代。

1980年代始め頃は まだネットどころか学生が使うような携帯電話もPHSもポケベルも無い時代。
外国でMTVが始まったばかりで 日本でのPVすら作られていなかった時に一番の情報源はテレビ、ラジオ、雑誌。

しかし今と違ったのは テレビでは 音楽番組が沢山あり、バラエティでもコーナーの間にアイドルが新曲を披露したり、音楽ランキングの生番組がテレビ各局にあった。

アイドルや歌手がいないと番組が成り立たなかった。

逆にロック、ニューミュージックと言われるアーティストジャンルのミュージシャンは
『テレビに出るなんてかっこ悪いし 出ない!自分達は目の前に来てくれているライブ、コンサート、レコードを買ってくれているファンが全てだ!』
みたいな風潮があった。

ミュージシャン系はデビューしたらすぐにスターダムという感じではなかった。

それがツイストやサザン等がテレビ番組に出始めて いきなり爆売れし出す。

そうするとそれに続く人達が出始めるんだけど テレビやラジオは とにかくネタになるようなキッカケがないと出れない

○○で噂の!とか
○○で人気急上昇中の!とか

その噂や人気急上昇中にまずは引っ掛かりたいのにね(笑)

私が夢中になったデビューしたばかりの このバンドさんはミュージシャンを発掘するコンテストで優勝した事しかセールスがまだ無かった。

日本では珍しく PVも作ったんだけど それを発表するようなミュージシャンのPVを放映してくれるようなテレビ番組も無い。

学生だった私が取った行動は デビュー曲のプロモーションでスタジオ公開放送していたFM番組に ゲストで出演する情報をたよりに とにかく本物に会う事だった。

そのバンドさん目当てのお客は 一人の後輩を引き連れて会いに行った私達2人だけ。

出演が終わったスタジオ出口で彼等一行を呼び止めて 買ってきたデビューシングルのレコードにサインをおねだりした時に渡したファンレターを繋ぎにして、レコード会社の担当さんから連絡があり プロモーションをお手伝いする事になった。

レコード会社の担当の人と連絡を取り合いながら その当時学生がよく聞いていた地元のラジオのランキング番組に リクエストハガキを沢山出したり、電話で毎日投票する番組のランキングを上げる事から活動が始まった。

そうすると聴取率の高い 毎日放送しているラジオ番組辺りから火が付き あれよあれよの地方ヒット。

それがキッカケで3ヶ月位で 地元では外出禁止令が出たぐらいの超スーパーグループに。

セカンドシングルのプロモーションに来た時には 立ち寄るレコード店で盛り上げる司令を受け そこから大名行列のように通りがかりの女子が膨れ上がり タクシーで逃げる(笑)

東京でデビュー初のツアー!とは程遠いけど小さなライブハウスでのコンサートも 私の地元では立派な大ホールでのコンサートをぶち上げた!!

やればやるほど人気が上がって 夢を作り上げる一員として凄く面白い体験をした。

結果、その地方ヒットが話題になり サードシングルも売れて 全国チャートにも躍り出て 3年後には全国ヒット。

1990年代を代表するビッグバンドになった。

後からデスクのお姉さんに聞いた話では このレコード会社がその地方営業所で一年に売り上げるレコード販売総売上の7割をこのバンドのデビューシングルのみで叩き出したんだとか!!
やったね!!

卒業後、私は就職でたまたま東京に来る事になり 働きながらも デビュー当時からのファン同士は繋がっていた。

全国的に売れたら売れたで 新規のファン達は過去のPVを見たことが無いファンが多い事に気付き 是非 見たことが無い貴重なPVを見せたくて 繋がっていたファン友と上映会を開くべく 企画書を作成して デビュー当時に担当していたレコード会社の担当さんを口説き落として メンバーのやっていたラジオ番組にも企画書を提出して 番組内でメンバーから放送で上映会に来たいお客様募集の告知をしてもらったりして 上映会開催にこぎつけた。

ネットで検索したら動画が見られるような時代ではなかったから 誰かがこういう事をしないと過去の映像なんて見れない時代だったからがんばれた。

楽しくて楽しくてしようががなかった!!

お客様は抽選せざるを得ないくらい来ていただいた。

バンドもとうとう東京ドームでコンサートを開けるくらいになっていた。

ちょっとお手伝いしたぐらいの一般人の私がこんなに楽しいのに ジャニーズの先輩達が 後輩をプロデュースして しかもイケメン揃いで 打てば響く将来性があって 知名度もかなりあって スペシャル高素材!
何よりジャニーズ事務所なんて そりゃあ自分の手でBTSぐらい育ったら!?と思うと メチャメチャ燃えますよ!!

だから裏方に回りたくなるのが解るんですよ。

苦労や思い通りに行かないことも沢山あるとは思うけど 壁があったり その壁が高い方が 男は仕事のやりがいを感じると思います。

だからパフォーマーとして続けながらであって欲しいんだけど 松潤が他のグループのプロデュース業もしたいって聞いたときに

『うわー!それ気付いちゃった?
気付いちゃったかー!!!やべー!!
楽しくてパフォーマーに帰ってこなくなっちゃったらどーしよー!?でも楽しいよね!!』

って思った。

横山くん達が なにわ男子を手掛けているけど 松潤が美 少年を手掛けたらどうなると思います?
楽しみしかないですよ。

でも松潤パフォーマーを捨てないでいて欲しい!!